映画の紹介 『おだやかな日常』

12月22日(土)より、ユーロスペースほか全国順次ロードショー!
 
拙作『おだやかな日常』は、二人の女性を主人公に、目に見えない放射能への恐怖、子供を守ろうとする母親に対する意外なまでのバッシング等…3.11
以降、日本で起こった様々な反応を描いた作品です。

(映画公式サイト:http://www.odayakafilm.com



日本は表面的には平穏に見えるものの、ツィッターやブログを見れば安全を主張する人や、危険を主張する人、不安を訴える人、それを馬鹿にする人で溢れかえっています。この背景には、実際に声に出し危険を訴える人に対し、「不謹慎」や「風評被害」というレッテルを貼り付ける人の存在が考えられます。さらに、そのことによって「非難されるのが怖いから」と現状の心配や不安を声に出すことを恐れて生活する人をも生んでしまいました。
しかし、それでもなお、周囲に疎まれようと我が子を守るために必死で戦っている母親たちがいます。本作はそうした母親たちへエールを送りたい、という想いから企画が始まりました。
3.11以降、様々な形で震災は描かれてきましたが、より“子ども”と“女性”に寄り添い、未来を取り戻したいという願いを込めて制作致しました。

内田伸輝監督からのコメント

2011年3月11日、震災によって原発事故が起きた時、僕は、政府の発表を鵜呑みにしていた。
万が一を考え、近くの人は避難しているだけだろうと思っていた。
しかし、次々と原発が水素爆発するにつれ、これはひょっとしてマズいんじゃないのか?
あれだけの爆発を起こしたのだから僕が住んでいる東京にも放射能は来るのではないのか?と思うようになった。
余震が続く中で、ネットで現状を調べていくうちに、今まで聞いていたメディアの発表とは全く逆の見解をする人が多くいて、原発事故の危険性を指摘する内容に、僕は驚くと同時に、どのタイミングで都内から脱出するかを考えるようになり、緊急地震速報と、電力会社や政府の発表に釘付けとなった。

しかし、緊迫した状況は、あくまでもネットと余震で揺れる部屋の中の話。
風に乗って飛んで来る放射能を恐れ、マスクをつけて外に出れば、昼間は買い物客で街はあふれ、子供達は外で遊び、震災から一ヶ月もたっていないのに、人々の様子はいつもの平和なニッポンだった。
そして、ほとんどの人はマスクをせずに、いつも通りに生活をしていた。

何故、みんなは避難しないのだろうか?
もちろん、中には危険を感じ、避難する人もいれば、危険を訴える人もいた。
しかし、それらの人たちは「不謹慎」や「風評被害」という言葉で非難され、中には「非難されるのが怖いから」と、現状の心配や不安を、声に出す事を恐れて生活し、そして次第に忘れていった。

それは権力を利用し、弱者の言い分を封じ込める構図に似ていた。 
東日本大震災以前から、役所でも会社でも、大人でも子供でも、このような状況はよくある話だったが、
しかし震災以降、その状況はさらに露骨な形で現れはじめ、大勢が出る杭を打つように、意見する人間をねじ伏せていく。
そんな状況が、3月11日からずっと続いている。
上辺だけのスローガンで人々の心を操作して、まるで魔女狩りのように、意見する人、自己防衛する人を叩きのめしていく・・・。
僕はこの状況を無視する事が出来なかった。

もっと言うと、この現状を無視して、次の映画を撮る事が出来なかった。
それは怒りと言えばそうなのかもしれないが、それとは別に、批判されても良いから、どうしてもこの状況を表現した何かを作らなくては、僕自身が次に進めない。と思ったのが正直な本音だ。
そして、出来るだけ素直に今の東日本を記録するための映画にしたいと思った。

しかし、作りたいと思っても、福島と原発事故を舞台にした映画を作りたいわけではなかった。
僕は埼玉県出身で、現在は東京に住んでいる。
もし本当に福島を舞台にした映画を撮ろうと思うのなら、その土地に何年も住み、そこから生まれて来る映画を撮っていきたい。
たぶんそうしないと僕の場合は表面的な映画を作ってしまうだろう。
僕はそれほど器用な人間ではない。

だからこそ僕は今の東京を見つめ出した。
表面的には平穏を取り戻しつつある東京。
しかし、皆、表面で作り笑顔をして、ネットの世界で、名前を隠し罵りあっている。
ツイッターやブログでは、安全を主張する人や、危険を主張する人、不安を訴える人、
それを馬鹿にする人で溢れている。
国やメディアも錯乱し、情報公開が遅れ、無用な被曝を受けたり、メルトダウンしていた事も後から分かる始末。
僕たちは「国はとても重要な事を隠している、または隠蔽している」と疑いを持っていく。
いったい、何が本当の事なのだろうか?
野菜から、水から、魚から、次から次へと放射性物質が基準値を超えて発見されている。
それでも国は、「直ちに影響はない」を繰り返すばかり。
その言葉に僕たちは翻弄され、どうして良いのか分からなくなる。
眼に見えない、臭いもない、色もない、風に乗って来る放射能によって、
東京の街は、ゆっくりと人の体を、心を、蝕んでいく。
震災と原発事故によって起きた「心の破壊」が東京には確実にあった。

2011年4月、僕は震災と原発事故によって翻弄される東京の人々を描きたいと思い、構想を始める。
初めはプロットのみで、子供のいない夫婦が、原発事故によって、漏れ出た放射能が東京に来てるかもしれないと不安になり、最後は移住を決意するまでの話だった。
プロットを何度か書き直す過程で、夫婦の放射能への不安だけではなく、子供を持つ母親たちの悩みをどうしても物語に入れたいと思うようになってきた。
我が子を放射能から守ろうとする母親達の不安はとても切実だった。
将来、自分の子供がこの原発事故によって病気になるかもしれない。
現実に、不安と絶望の中で母親達は我が子を守るために必死に戦っていた。
僕は戦っている母親達に、どうしてもエールを送りたかった。
周りから罵られ、馬鹿にされても、それでも危険の可能性があるのなら、我が子を必死に守ろうとする母親達に、僕は頑張って欲しいという願いを映画に込めたかった。
そしてその一方で、「大丈夫」と思いたい人達や、不安の声を挙げられない人達、そして偏見によって生まれる差別も映画の中に入れたいと思った。
脚本は、プロデューサーや出演者たちとの話し合いで、最終的には第10稿まで書き直す事になった。
今まで僕が作ってきた映画は、脚本を書かず、プロットのみの即興芝居が主だったが、今回は自分の中で新たな試みを入れたかった。
それは、きちんと脚本を書き、それを出演者やスタッフに読んでもらった上で、現場では即興芝居をワンシーンの長回し撮影していく。
それが良い方法なのか、悪い方法なのか、僕にはまだ分からないが、少なくても自分が求めている生の空気が、今、僕たちが立っている現実が、映画から伝わってくれたら良いと僕は思う。

誰かがネットで呟いていた。
「未来が奪われた。原発事故前の世界に戻して欲しい。」と。
過去に帰る事は誰にも出来ない。
しかし、未来を取り戻す事は必ず出来ると僕は信じたい。
この映画は「未来を取り戻す」ための映画だと僕は思っています。